5月の御教え
 

天つちの誠の中にすむ人は
 有無(うむ)生死(しょうじ)も何かいとわん (御歌二五号)

天照らす神の(みや)()に住む人は
 かぎり知られぬ(いのち)なるらん (御歌一二号)





《解説》


「離我任天」そして「養無」という最も難しい御教えをいただいてきた締めくくりとして、教祖様の御文を拝読して下さい。無にして有であるいのち(命)が永遠の霊性(いきもの)であること、すなわち「生き通し」の御教えを深く学ばせていただきましょう。


 


「いっさい有るものは無きものなり。まことに貴賎のへだてなく、これをはなるれば、生もなく、死もなく、尊も賎もなし。その所明かり入り(そうら)えば、天地皆わがものと相成り申すべく(そうろう)」(御文四八号)


 


「毎度申し上げ候通り、まことに道は生き通しにて、みな心から生きさえつかまつり候えば、限りはござなく候。しかし、そこを教え候えども、よう生きぬ人は、親子兄弟なりとも、いたし方ござなく候。願わくは、生き通しのところをお勤め下させらるべく候。いよいよもって日の神ご一体に相違いござなく候まま


 限りなき天照る神とわが心


       へだてなければ生き通しなり


ただ、心陽気に相成り、邪陰を離れ、長寿をお保ち下させらるべく候」(御文二四三号)


 


「生き通しは、いよいよ心ばかりいきものと申すの疑いまことに離れみれば、かの天照大御神ばかりに相成り。ただ豪髪(わずか)も、生きたいと申すことを離れ、望みをはなれ、疑いを離れみれば、道は天の道なり。わが説く道にあらず。天の道なら、天に任せ見れば、すぐに我なし。我なければ天の心ばかりなり。その天の心がわが道なり。その道がいきものなり。このいきものみな無なり。その無こそ一大事なり。(ぶつ)にも、本来(ほんらい)無一物(むいちぶつ)といえり。我まるでなくなれば、天地のむすびし心のいきもの、はじめて目ざめ、夢のさむるごとくなり」(御文一四四号)