10月の御教え
 

かぎりなき命の道をみちびかん
   重ねたまえよよろずよまでも (御歌九二号)


(あめ)つちとおないどしなる道の友
   かわり給うなよろずよまでも (御歌一五号)



《解説》





 

 教祖様は、私たち人間の本体である「ご分心(命・魂)」が永遠の霊性(いきもの)であることを「生き通し」という一言で御教え下さいました。それは、万物(宇宙)の親神である天照大御神の分霊(わけみたま)をいただいて(()(とど)まって)この世に生を受けた人が、人生という修行の場でのつとめを終えて、再び天に帰って行くスタートの時が死(昇天)で、人の死は命の終わりを意味するものでは決してないという教えです。


 命(霊魂)の永続性を知ると、私たちは現在のことよりも生前や死後の世界に心を奪われがちですが、教祖様は「“この世”にいるうちから、“あの世”の心配をする必要はない」とでも言っているかのように、前世や来世について一切言及されていません。それどころか、教祖様が重きを置いて説かれたことは「生き通しは現在(ただ)(いま)なり」、「生き通しこそ道の元」等のお言葉から学ぶことができる、“今”という二度とない瞬間の悠久の積み重ねによる“霊魂不滅”であり、その“今”をいかに生き切るかという点でした。


 “今”をどう生きるかは「誠の教え」である本教の教えの中心部分で、本稿でも繰り返し「五つの誠」に(のっと)って学んでいるところですが、私たちは「かぎりなき命の道」を常に先導して下さる教祖様にいつもお守りいただいていること、そして同じ道を歩む多くの仲間(お道づれ)に恵まれていることを、有り難く確信することができるのです。何とも、心強いことです。


 常に変わることのない大御神様のご神徳の中で永遠に生かされ、教祖様のご加護をいつまでも受けられる幸せに感謝して、その時その時の“今”を精いっぱいの誠を尽くして生き切って、子々孫々まで開運の道を歩ませていただく「道の友」でありたいものです。


 


日々に朝日に向かい心から限りなき身と思う嬉しさ(御歌一五八号)


わが道は死ぬるばかりぞけがれなり生き通しこそ道の元なれ(御歌二一一号)