7月の御教え
 











慢心は道をつとむるいとまごい


こころしずめて道をこそふめ (伝御神詠)












《解説》


 








 「御訓誡七カ条」の第三条に、「(おの)が慢心にて人を見下す事 恐るべし恐るべし」と教祖宗忠様がご教示下さった「慢心」について、御逸話(ごいつわ)を通して学ばせていただきましょう。


 まずは、赤木忠春高弟と時尾宗道高弟に対する、“対機的説法”の妙といえる教祖様のお諭しです。


元気で意気揚々たる赤木高弟に対しては、「赤木さん、慢心はこわい、命をとりますぞ!」と常々お(いまし)めになったのに対して、温厚で、ともすれば控えめすぎる時尾高弟には、「時尾さん、人は慢心の“戸ぎわ”まで行かぬと、生きた大きな仕事はできませんぞ!」と絶えず元気づけられた教祖様でした。


ある時、赤木高弟が「先生様、たびたび(ねんご)ろなる御教えをいただき、『慢心』の恐ろしさは十分骨身に染み込みました。どうかご安心下さい。今後『慢心』ということで、ご心配をお掛けすることは断じてありません!」と申し出たところ、教祖様は「それはまことに結構なことです」と笑顔で応じ、「どうぞこの上は、人から慢心させられぬように、くれぐれも用心なさい!」とご忠告になりました。後年、多くの人々から生ける神として尊信され、図らずも慢心の境地に押し上げられて再び失明の身となった赤木高弟が、すぐに改心して開眼のおかげを受けたのは、この時の教祖様のご忠告があったればこそのことでした。


また、働き者の篤信家として知られていた瓦焼き師の六左衛門さんが、教祖様からお叱りを受けた御逸話「無学慢心」からは、「慢心」の深意を学ばせていただけます。


「慢心の戒めが最も難しい・・・」と口々に話す高弟方の話を聞いて、「(自分は)学問も身分も家柄も財産もない『無学』だから、『慢心の戒め』はつとめずしてつとまる・・・」と六左衛門さんがちょっと得意気に話した刹那(せつな)、奥の間からの「六左衛門どの! それが『無学慢心』と申すものぞ!」という、厳しいお叱りの一言でした。


誰もが陥りがちな「慢心」という(ふち)に落ち込んで道から外れないように、心して誠の道を歩んでまいりましょう。