4月の御教え
 















有無の山生死(しょうじ)の海をこえぬれば


ここぞ安楽世界なるらん(御歌八五号)





















《解説》










 黒住教教書「御年譜」の天保九年(一八三八)の条に、「三月二十三日、岡山藩士松尾長三郎酔狂し、岡山城下に()いて二十三、四人の人を傷づけ、更に中之町御門にて教祖に()りかからんとせしに、教祖の御言葉によりて鎮まりし事あり。(池田家履歴略記続集後篇巻の三参照)」と記されています。天照大御神とご一体の教祖宗忠神なればこその、偉大な「中之町御門のご逸話(いつわ)」を通して、今月の御教えに示された至高の境地を学ばせていただきましょう。


 松尾長三郎という人は、岡山藩主池田家陪臣という立派な武士でしたが、酒癖が悪いという欠点がありました。春たけなわの旧暦三月二十三日、郊外の寺院の行事に招かれてしたたかにきこしめした松尾氏は、(すい)()蹣跚(まんさん)(酔ってよろよろ歩く様子)大道狭しと岡山の町に向かっているうちに誰かとぶつかって喧嘩(けんか)になり、たちまち抜刀して斬りつけたのです。大騒ぎになるとますます頭に血が上り、酔狂は募って二十三、四人もの人を傷つけたあげく、岡山城西門である中之町御門で、教祖様とバッタリ鉢合わせしたのでした。


 抜き放った太刀を振り上げた半狂乱の武士を前に、教祖様がただ一言(りん)(ぜん)と「お場所柄でございますぞ!」と仰せになるや、松尾氏は刀を打ち下ろすことができませんでした。「ああ、あの方が斬られる!」と叫び声を上げる人々の目の前を、まるで何事もなかったかのように教祖様は御門を通り抜けて町の方へお()でになったのでした。


 「至誠の感孚(かんぷ)(まごころに深く感じ入ること)」と最も徹底された「鎮魂」の手本というべき究極の御逸話ですが、このことが評判になって、ある人が「どうしたらあのような心構えでいられるのでしょうか?」とお尋ねした時、ちょうど縁側に腰掛けて両足を庭の方に下げておられた教祖様は、そのお足を二回ほど軽く(たた)いて「平生から、これを捨てておるからのう・・・」と仰せになったとのことでした。「有無の山」や「生死(しょうじ)の海」を超越された教祖様の、ただただ恐れ入るばかりの尊き御瀬踏(みせぶみ)でした。





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