1月の御教え
 
























誠から祈れば神はあらたなり


神の心で神を祈れば(伝御神詠)
































《解説》












 いよいよ慶賀に堪えない立教二百年の幕開けの時を迎えました。この新たな時代の始まりの時に、あらためて本教の信仰と教えの原点に立ち返ると、それは御日拝の感動と感謝によって誰もが体感させていただける、日の()徳と日の御蔭、そして日の教えの有り難さです。

 その信仰は、太陽=神という古来の神観が昇華されたとも言える、昇る朝日に顕現(けんげん)される万物の親神・天照大御神を崇拝する祈りで、その教えは、この万物の親神・天照大御神の分心(分霊(わけみたま))が私たちの本心(核心・真心)として鎮まる、「日(とど)まり、日と(とも)にある人」とする人間観に立脚した哲理です。

 この原点を踏まえなければ、今月の御教えの真意は理解できません。すなわち、人が誰しも分け与えられている分心(真心)こそ「誠」で、それが「神の心」であるが故に、そもそも直結している神に誠からの祈りが通じないはずはないという、絶対なる確信が詠まれているのです。

 先月号の本稿で「神人(しんじん)不二(ふに)』(神と人とは二つにあらず)の悟りの上にお導き下さった『生き通し』という『神人一体』(神と人とは一体)への道、それは『へだてなければ』という条件付きの“修行の道”なのですが、この『かぎりなき道』を共に歩ませていただく同心同志の『お道づれ』として、道の誠を尽くしてまいりましょう」と記しましたが、本教の実践の根本は一つです。今月号の御教えで繰り返して教祖宗忠神がお諭し下さっているのは、「誠から祈れば」と「神の心で祈れば」という、ここでも厳しい条件付きの“修行の道”なのです。

 新たな時代の幕開けに当たり、「信心は、信じる心、(まか)す心、(まこと)の心」、そして「祈りは日乗り(日の神と一つになること)」との御教えを心に刻んで、揺るぎない信仰と祈りに徹する黒住教道づれであることを誓い合いたいものです。






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