7月の御教え
 

春雨の分けてそれとは降らねども 受くる草木の己がさまざま

  (道歌)




《解説》


 「三人が自分と同じ考えだと知ったとき、人は『みんなと同じ』だと感じる傾向にある」という話を聞いたことがあります。今は「テレビや新聞で知った誰かの意見に同感したとき」というのも当てはまるかもしれませんが、私たちはどこかで無意識の内に自分を『みんなと同じ』だと思いたいようです。かつて「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という妙な言葉が流行ったり、「定員オーバーの船から日本人を飛び込ませるには、『皆さん飛び込みました』と言えばよい」という海外のジョークがあったりするように、特に私たち日本人にその傾向が強いようです。


 古来少数派ながらも独自の伝統を保持してきた方々が存在する以上、わが国を「単一民族で単一言語の国」と称するわけにはいきませんし、遥か昔に北方と南方から渡来してきた人によって今の日本人が成り立っているのは事実ですが、他国と比べると限りなく「単一民族的であり単一言語的な国」が日本だといわれます。専門家の間では、地理的な条件と歴史的な条件が生み出した極めて稀有(けう)な国とまで認識されているようですが、当の日本人はそれほど特別なこととは意識せず、それこそ「あたりまえ」だと思っています。


 「みんな同じ」をどこかで「あたりまえ」だと思ってしまうと、「同じではないこと」


すなわち「異なること」が受け入れにくくなります。「異なること」と「違い(間違い)」が混同され易いのも、単なる言葉だけの問題ではないように思います。「正しくない」という意味での「違う」は良くないことですが、「異なること」は決して良くないことではありません。それどころか、考えてみれば「みんな異なって」います。それが「あたりまえ」です。


 世の中は、いわゆるグローバル化が進み「異なっている」人や文化といかに共存・共生するかが今後の人類の課題です。「異なっている」点を個性・特質と称え、「同じ」部分を分かち合う姿勢が求められています。大いなる天地自然のおはたらき(御神徳)を世の中の生きとし生けるものは「みんな」受けているという、大元は「同じ」である「ありがたさ」を大切にしたいものです。