8.高弟たち


「高弟たち」という見出しのところを読み始めて私は、何度も目をこすった。びっくりしたのである。そして私は、自分が読み違いをしているのではないかと2度3度読み返した。


[黒住の最も側近の弟子たちは、高弟として知られている。全部で7人いたが そのうち3人が彼の存命中に重要な指導者になった。古田正長は、岡山藩の身分の高いサムライで、1819年に神文を受け、それ以降引き続き黒住の教えの布教を続けた。石尾乾介は、もともと今村宮の氏子であったが、1821年に入門した。自宅で講席も開いた。彼は参勤交代で江戸に滞在していた時に、黒住に宛ててしばしば手紙を書き送った。黒住の全通信文のおよそ四分の一は石尾に宛てたものである。彼は、江戸への道中においても、黒住の教えを布教した。初期の高弟の中では、彼は最も布教活動に熱心だったのである。重要な人物で高弟には数えられていないが、菱川銀三郎という人がいた。通称銀次兵衛で知られているが、この人は仏僧の息子で黒住教に改宗した。彼は、黒住の下男ををして、黒住の行くところはどこでへでも従って行ったが、布教活動をする事は無かった。第3の高弟は河上忠晶である。この人は、王陽明派の学者で、備前藩に伺候していたが1822年に門人となった。彼は黒住の教えを中国語で本に書いたが、これは明らかに布教に使う意図であったのであろう。中国思想の学者が改宗することは、ありそうもない出来事のように思われるが、これは実に異例な事態によって惹き起こされたのであった。河上の母が目を患っていたのを、黒住によって治癒されたのである。そして彼女は、息子にに入門をするように説得したのである。〕


このページ(66ページ)は、ハーデカさんの著書全体を通じて、最大の失敗作となっている。


ハーデカさんには申し訳ないが、直訳風に訳出して見たので、読者の皆さんは、どこがどのように間違っているか、すぐに気が付かれるであろう。 私はこの原稿を書くに当って、この点に触れようか、触れないでおこうかと随分躊躇したが、思案しているうちに、このように書いたハーデカさんに、親しみが湧いてきたので思いきって取り上げる事にしたのである。考えて見れば、彼女は一人で、誰の助けも借りずに、これだけの大論文を書き上げたのだから、たまたまミスがあったとしても、それはご愛嬌というべきだろう。

 


.大祓詞


この本の表紙カバーに、岡山・神道山上のご日拝の写真が出ていることは冒頭に触れた。これを良く見ると、教主様の後方に座っているのがハーデカさんのようである。彼女はご日拝に参加し、大祓詞を唱えて、黒住教の研究 に「体当たり」で没頭したことがこれで分かる。因みに、英語の大祓詞が、この本の196ページから198ページにかけて 掲載されている(國學院大學の研究所が翻訳したもの)。英語の大祓詞には 私は始めてお目にかかるので、謹んで読まして貰ったが、これを高唱しても、どうも有難い気分は湧きそうにない。外国人の信者にも、やはり、日本語のオハライを挙げて貰うのが良いように思われる。世界中のどこの教会所 でも、このオハライがそのまま高唱されていると想像するだけでも愉快では ないか。さて、ハーデカさんは、この大祓詞に関して、宗教学者としての目覚めた目でもって、宗忠様がこれまでの神社神道に無かった四つの革新をしたと言う。いうなれば、これも彼女の第一のストラテジーである。その四つの革新とは、


1.一日に何回も繰り返し唱えること(千度祓いのように)


2.氏子である無しにかかわらず、すべての人のために唱えること


3.感謝の心を込めて唱えること


4.門人自身の修行の中核として、神主の仲介無しに唱えること


これによって、神社に伺候する神官の権威と特権を、現代風に言えば、大衆化したというのである。私も何かの本で読んだ記憶があるのだが、それは、「大祓詞は、京都の吉田家から免許を受けた神官職しか唱えることが許されなかった」と言うものである。これは考証したものではないので、真偽のほどは定かではない。しかし、ハーデカさんは、以上の四つの点に宗忠様の独創性と革新性を見ている。次に、「大祓詞と病気治療」との関係について、彼女は次のように言う。


[まず、最もはっきりしていることは、大祓詞が「穢れを祓う」ことである。病気が一種の汚染(穢れ)だと考えれば、治療は浄化(祓い)だということになる。黒住にしてみれば、汚染は「神性との不調和」の兆候なのである。][大祓詞は、病人を、まず、天地創造の世界に引き戻すのである。病人はそこで活力の充満した存在の中にもう一度住む事になる。病人は損耗した身体の各組織を修理するのではなく、もう一度、最初から創り直されるのである。生まれる瞬間に備わっていたエネルギーと潜在能力を、全部取り戻すのである(意訳)。]


彼女の苦心の解説は、大変ユニークである。彼女の解説に従ってオハライを唱えこのような境地に到達することも、あながち見当はずれだとも言えないだろう。 


10.女性と「けがれ」


ハーデカさんは、フィールドワークしている間、岡山市の大井教会所にかなり長期間お世話になったようである。これが冒頭の序文の中に感謝の言葉となって表れている。この滞在期間中、彼女が「見聞した」というより、「注意深く観察した」事項は実に広範囲であり、かつ微に入り細に及んでいる。教会所の大祭、月例行事、毎日お参りになる信者との応接、信者の集会(これも一ヵ所だけではなく集団特性の異なる数カ所)、地鎮祭、葬式、家祓い、祖霊祭などなどである。このほかに、序文で分かるとおり、福光郭江先生に連れられて、島根県、兵庫県大阪市などの各教会所にお参りし、黒住教信仰の実態を観察調査している。これは彼女の言う第二のストラテジーであるが、そのフィールドワークは、単に外面に現われた事象だけでなく、教師や信者たちに遠慮無く質問し、疑問を糾して、信仰の内面を懸命に解釈し、感じ取ろうとしているのである。そしてその観察体験を一つ一つ項目を立てて記述し、宗教学者として鋭い目で解説を加えている。つぎに、フィールドワークを通じて彼女が掴み取った、黒住教の世界観に関係する「穢れ」について解説を聞いてみよう。


[「清浄」と言う伝統的概念に関して、黒住教の考え方は大変特徴がある。それは、「穢れ」の概念の中身の問題である。日本の宗教の中で、神道ほど「穢れ」に対して、鋭い感性の伝統を持っている宗教は無い。神道にも葬式はあるが、神道では「カミ」が「死の穢れ」と接触しないようにするために、もっぱら仏教にそれを任せてきたのである。(訳註・6世紀に仏教が日本に伝来する前から神道は存在したという前提に立っている。)死は神道にとって、最大の穢れであるが、そのほかに、月経、出産、セックスも「穢れ」と見なされてきた。そのために、神社に伺候する神官たちは、神前奉仕する前に、一定期間の斎戒沐浴をしなければならない。この「穢れ」の概念があるために、女性が神事を行う事は許されなかったのである。しかし、黒住教では、各人自身の修行を優先する世界観があるので、神道のこのような考え方は修正される。黒住教では、死、月経、出産、セックスを「穢れ」の源泉とは考えない。祭礼の前に斎戒の必要は無く、女性教師は、月経中でも、出産直後でも、希望すれば祭礼を執行することが許される。葬儀の後でも、教師たちは「祓い」を受ける必要は無い。黒住教は、「穢れ」そのものの存在は否定しないが、「穢れ」が物質や肉体のような存在から発生すると言う考え方を否定するのである。そのかわりに「穢れ」は、「気」の衰退、ないし、萎縮から発生すると考える。「気」は、全ての人間に充満する「活力のエッセンス」であり、「神性」と一体のものなのである。「穢れ」は「気が枯れる」ことなのである。したがって、清浄な状態を保持する方法は、陽気を保つこと、すなわち、神性と調和した楽観と歓喜なのである。]


 大相撲を見ると、力士が拍手を打ったり、塩を撒いたりして、清めの儀式を行っている。数年前、女性の文部大臣が、土俵に上がって賞杯授与をしたいと言い出したが、結局断られた経緯がある。これを見ると、古来の神道の思想が、相撲の世界に反映していることが分かる。仏教寺院の中にも女人禁制のところがある。ハーデカさんの捕らえた黒住教の世界観から見れば、このような女性蔑視の考え方は、とんでもない事になる。「7.陽気な活き物」のところで見たように、徳川時代の封建体制の中で、社会の身分制度を打破する「平等思想」の革新を、宗忠様がなされたと観察しているハーデカさんは、今度は、男女差別を認めない平等思想の先駆的革新も、宗忠様がなされたと指摘しているのである。 


11.「死」と「あの世」


[その家は、切り立った山の連なる一番高いところに立っていた。そこから見下ろすと、長い谷間に、台地が段々に重なっているのが上から下まで良く見えた。葬式の前夜、その家には50人ばかりが集まっていた。そのうちの約30人は、 亡くなったMさんの家族とその分家の人たちで、その他の約20人は家の外に残っていた。この人たちは、戦前の地主制度では、Mさんの小作人にあたる人たちの家族と子孫である。彼等は葬式の準備と、多勢の人が集まる場合には欠かせない、色々な仕事の手伝いに来た人たちである。-中略-いつもとは違った、葬式用のノリトが読み上げられた。続いて拍手が打たれたがこの拍手は音を立ててはいけない事になっている。ひちりき(訳註・横笛か笙の間違いか)が伴奏されている間に明かりが消された。葬儀に奉仕する2人の教師は白いマスクをしていた。霊柱が棺のある部屋に運ばれた。数分間のお祈りがあったあと、「おおーーーー」と言う長く延ばされた声が、霊柱を持っている教師から発せられた。死者の霊が、身体から霊柱に移されることを知らせるのである。まだ真っ暗なあいだに、霊柱は主斎場に戻ってくる。ここでやっと明かりが点灯される。死者の霊の移動が終った後、参列者は大祓詞を唱え、死者と血縁の近い順、Mさんの息子、娘と言う順序で玉串が供えられる。この儀式の中でも、儀式が象徴している意味合いにおいても、彼等は死ぬ事が「心の穢れ」であり、「敗北」である事を否定した。そうではなく、彼等は死が「心の勝利」であり、「心は天において新たな生存を開始する」と考えている。このように、黒住教では「死の穢れ」を否定するところに、死が穢れであるとする神社神道とは、はっきりした違いがあるのである。単刀直入に質問すると、教師たちは、地獄の存在を否定はしないけれども、普通は誰でも、死後は「カミ」になると考えていると言う。例えばMさんは、篤信の信者として長寿を全うした。評判の高い人徳を持っていた。だから彼女は、高天原の高いところに座る事ができると期待される。高いところとか、低いところとか言っても特別に恩恵や利点が違うと言う明瞭な意味があるわけでもない。もし誰かが死んだ場合、疑うに足る格別強い理由が無ければ、誰でもみんなが幸福になれると信じている。その人が悲運になるかもしれないなどと話しをする人は誰も居ないのである。][死後の記念祭は、10日、20日、100日と、さらには、5年ごとに50年まで続けられる。その後は、先祖は「カミ」の世界にしっかり落ち着かれて、多数の集合の中に入って見分けがつかなくなると信じられている。黒住教の教師は、この記念祭を主宰し、有難いノリトを読み上げる。このノリトは、死者がカミになって幾久しく家族を見守ってくれていることに感謝することを告示するのである。]


113ページを開くと、その左のページ一面にMさんの葬儀の祭壇と、玉串を捧げる遺族の様子を撮った写真が載っている。この写真の中央の、Mさんの遺影の後ろ側に御幣が立っている。この御幣はアイヌ人たちが神事に使うイナウによく似ていると言われている。イナウとは、もともと鳥のことで、人間の願い事を聞いて、その願い事を持って天高く飛んで行く、つまり霊の発射台の役を果すのだそうである。そう言えば、御幣をよく見ると、なんだか大きな鳥の白い翼を象徴しているように思える。白鳥の背中に乗って高天原に向かって、大空高く飛翔すると想像するだけでもロマンチックで、気分は決して悪くない。ハーデカさんは、神妙に息を詰めて、異国の珍しい葬式の一部始終を観察し、解釈し、そして遠慮無く教師たちに質問を浴びせた事がよく分かる。御幣のことまで質問したかどうかは、記述が無いのではっきりしないが、いずれにしても、彼女の観察と探求心が並々ならぬものであったことを、読者の皆さんにお分かり頂けたと思います。

 


12. 女性の役割


[これまで、農村型と都市型の教会所をいくつか調査してきたので、ある教会所が人の出入りが少なくてピカピカときれいであるか、それとも信者の出入りが激しくて畳がすりきれて色褪せているかを、決定する要因について今や探求す ることができる。鍵は女性の教師が居るか居ないかである。信者たちは、何よりも先ず教師のカウンセリングを求めて居るのである。黒住教の教会所がするような家祓い(やばらい)以外のサービスは、普通の神社でも見られる。しかし、神社の氏子たちは個人的問題に関する助言を、神官に求めようとはしない。反対に黒住教の教師たちは、特にそれが女性である場合、信者の抱える問題に耳を傾け、可能な限りの解決策を考え出し、その解決策を実行に移せるように激励することに、大変なエネルギーを費やすのである。情緒的ニューアンスの問題や、個人の境遇の詳細な点に関しては、女性のほうが男性よりも感受性に優れており、カウンセラーとしても望ましい、と言う期待があるのは一般常識である。カウンセリングと助言は、このような期待と相互関係にある。いやそればかりでなく、女性のほうが男性よりも霊界に近いという信念も有るように思われる。]


ハーデカさんは、福光克江先生の説教と郭江先生の「人生の物語」にかなりのページを割いて、活き活きとした内容を翻訳掲載している。それと、もう一つ「安部家の場合」と言う見出しで、カウンセリングの最初から最後の結末まで詳細に叙述している。この三つの記述は、どれを読んでも有難い話で溢れていて、涙がボロボロこぼれるような感銘を読者に与えずにはおかない。事実、ハーデカさんはその場に居合わせて感涙にむせたと書いている。本来なら全部を紹介したいのですが、内容がプライバシーで一杯詰まっているので、読者の皆さんはご自分でお読みいただくしかないのが残念である。



さいごに


以上、ハーデカさんの研究論文のあらましを、断片的ではあるが紹介してきた。この他にも、実は黒住教本部に滞在して、心臓部にあたる教団の組織や運営、本部の行事、ご神幸などを観察調査し、言うなれば、黒住教を丸裸にしたような記録と解説を綴っている。そう言った意味では、研究レポートというよりは、一般の企業診断レポートといっても良いぐらい踏み込んだ内容になっている。そして、この論文の中には、ハーデカさんの診断的勧告もあれば、歯に衣を着せない痛烈な批判が含まれているのも事実である・・誤解しているところも所々あるが。この本の出版は1986年であるから、かれこれ15年になる。この間に世界情勢は大きく変化した。人間と自然環境との係わり合いを見る目も、グローバル(地球的規模)で見るように変わってきた。人間の心の問題を扱う宗教思想も、世界に開かれたものになって行くことは必然の流れだろう。また、そうならなければならない。そのためには、ハーデカさんのこの論文のように、外国人による教学研究が次次に出版されて、新しい刺激と示唆を与えてくれる事は、実に歓迎すべき事に違い無い。

<終り>